【佐藤潤一の事務局長ブログ】

最近、ドローンの規制が急速に強化されようとしている。首相官邸屋上で小型のドローンが発見され、首相官邸の警備の甘さが露呈したことがきっかけだ。安全性の確保などの条件が必要であるにしても、ドローンの行き過ぎた規制はそれが提供できる「知る権利」や、「表現の自由」という公共の利益を阻害する可能性も高い。

一方で、5月17日に起きたハワイ・オアフ島での墜落事故をはじめ、死亡事故を起こし危険性が指摘されているオスプレイに対しての規制は一切ない。沖縄の普天間基地に配備済みの24機はもちろん、2017年の横田基地への配備計画については、その変更すら検討されていない。

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住民の安全確保や騒音被害を考えたら、ドローンの使用を市民や民間に規制するのであれば、オスプレイの飛行規制を米国に訴えなければおかしいのではないだろうか。

 

軍事や米国に関する規制はゆるく、市民には厳しく

もちろん、ドローンとオスプレイを単純比較すべきではないことは重々承知している。しかし、ここで指摘したいのは、軍事や米国に関連する規制はゆるく、市民の行為には厳しくという社会的な風潮が強まっていないかという点だ。

ドローンは、私たちが普段目の届かない映像を提供することができる。最近、話題になっている映像の多くにこのようなドローンによる空からの視点が含まれる。例えば、福島県内に高く積まれる放射性廃棄物が入った黒い袋を撮影した映像は、今まさに起きている福島県の現状を映しだした。

(c) Ruptry : Nuclear Waste: Drone buzzes Fukushima temporary storage facility 

 

5月17日、沖縄県辺野古の新基地建設に反対する県民大会が那覇市のスタジアムで開催され、3万5千人の市民が集まった。その様子をドローンが撮影した映像がこれだ。  

 

このように、大手のマスコミがヘリコプターを飛ばさなければ撮れなかった映像を一般市民やフリーランスのジャーナリストでもドローンで撮影し、世界に向けて配信することができるようになった。ドローンは「知りたい」の可能性を広げてくれている。

ガラス張りの首相官邸にしてはいかがか?

集団的自衛権の行使などを可能にする安全保障の関連法案を閣議決定や、TPPにおける米国との交渉など、「市民は何も知る必要ないんだから、黙っていればいい」という「上から目線政治」が加速している。

日本の憲法や法律が、政府や権力を規制するためにあるという大前提を忘れると、いつのまにか憲法や法律が市民を規制する道具として使われる。それが現在進行形で行われているのではという危惧を感じる。

エネルギー問題に関連してドイツを訪れた際に、ドイツの首相官邸にあたる連邦首相府を案内されたことがある。正面からドドーンとガラス張りの建築に圧倒されたが、その建築デザインが「政府は市民に対してガラス張りであるべきだ」という姿勢を忘れないためだと聞いて感心した。

首相官邸上空のドローン飛行を規制する代わりに、そもそも首相官邸をガラス張りにするぐらいの姿勢が必要ではないか。現実には市民との間に壁をつくり、米国との間をガラス張りにしているように思えてならない。